幸い勝男はすぐに電話に出た。
「どうだい、鼻沢さん?」
「しーっ、磯田君、言われた住所に来てみたのよ。一見したところただの牧場のようで、敷地の中の建物に入ってみたら、巨大な実験室になっているの。すごく怪しい感じよ」
鼻沢さんは、物陰に隠れて小声で報告する。
「えっ、勝手に入っちゃったの…?」
「うん…だって、誰も返事してくれなかったから…」
「仕方ないなあ…、鼻沢さん、ビデオ通話にできるかい?」
「できるわよ」
鼻沢さんは、物陰からディスカッションしている様子を写す。
「なるほど、なんだか医学の専門的なディスカッションをしているわけだ」
「そうみたい。内容はさっぱり分からないけど…」
「そうだね…誰か専門家に内容を確認してほしいな…」
鼻沢さんはちょっと考えてから、
「ねえ?私のこのスマホ、ここに置いておくことにするわ、充電をくっつけて。それで、磯田君は通話をそのまま続けてくれればいいんじゃない?」
と名案を思いついた、というふうに提案する。
「なるほど、いいアイデアだけど…バレないかな?」
勝男は、うっかり花瓶を割った時に中島君がうまく誤魔化してかばってくれたことを思い出して言った。
「うーん…うまい場所があるか、試してみるね…」
鼻沢さんは床にしゃがみながらキョロキョロと周りを見渡す。
壁際に備え付けられた棚に、埃をかぶった実験機材がたくさん置かれている。顕微鏡だの、フラスコだの、アルコールランプだの。もう使われなくなったものを置いているようだ。その隙間に目立たないようにスマートフォンを置いてみる。ディスカッションの様子が一望できるアングルを保たそうだ。
「鼻沢さん、いい感じだよ」
「よかった!じゃあ、充電器と繋いで、スマホをこのまま置いていくわ」
「ありがとう!」
「じゃあ、私は見つからないうちにいったん車に戻るわね」
そして、そっと実験室から鼻沢さんは抜け出す。
建物から出ると、ちょうど目の前にさっきの猫がちんまりと座っている。
見張られていたみたいで落ち着かないが、
「こめんね、急いでいるから」
と小声で詫びると、猫も心得たみたいに、今度はまとわりついてくることもない。
ぬかるみに足を取られてパンプスを泥だらけにしながら柵を跨いで牧場の敷地外に出る。
ホッと一息ついて、少し離れた茂みに隠してきた自分の車に戻る。
キーを開けて運転席に座って、仕事用に持っていたもうひとつのスマートフォンで勝男にメールを書き始める。
と、その時。
鼻沢さんの首筋に冷たいものが押しつけられる。
そして
「スマホを渡してもらおうか?それから、指示通りに運転してもらおうかな?」
と後部座席から男の声がする。
有無を言わせない口ぶりだ。