さて、もう今週にも芥川賞最終選考会が開かれますね。今回も、当会主催者が個人的に感想と完成度を吟味して、選考会の討論過程を勝手に推測し、最終受賞作を予想しますよ!(評価は0点~10点で。5点以上で受賞作レベルのつもり)
はじめに…
家事育児をするとき。
完璧を10点、及第点は7点だとする。
今の日本で、もし、母親が家事育児を担って5点しかできなかったとしたらその母親は非難されるだろう。
ところがこれが父親が担って5点なら、まあまあ頑張った、という評価になるかもしれない。
女性に対する社会からの要求はこういう面がある。このような母親の生きにくさが今回の候補作のいくつかの作品で取り上げられている。
「破局」3点
言葉というのは、実際の情報をかなり圧縮して使うものだ。たとえば「馬鹿にされて頭に来た」というのを「自分の馬鹿さを理解しない者が自分は何でも分かっていると勘違いしてしたり顔で的外れな注意をする、それもこれで10回目くらいだろう。それで頭に来た」
と詳しく説明的に言うことも可能ではある。しかしもし、こんなくどい表現が小説の中で延々続くと読み手はしんどい。ストーリーの展開もだるくなるだろう。
本作も、主人公の感情の動きについて自意識過剰な感じで、やや詳し目に説明されているので、生々しさがよく伝わる。青年期初期の、自分ですらよく分かっていない自分の内面を確認しようと手探りしているような感じ。しかし、それが小説の中で有効に使われてはいないように思った。
脈絡なく挿入されるニュースで、なぜか毎回、巡査部長が悪者になっているのは何の意図があったのか、私には分からなかった。
灯の心変わり、主人公の佐々木に対する評価の変化、が唐突な印象。
「首里の馬」3点
わたしが高校生だった時。
何の話からそうなったのか覚えていないが、ある教師が自分は広島で被爆したと話し始めた。爆弾投下した翌日に救護のために広島入りしたのだという。
そしてひとしきり体験談を話した最後に、「でもねえ、あの時のなんとも言えない匂いとか熱とか、いくら話しても伝えられないんだよねえ…」と遠い目で言っていたのが印象的だった。
テクノロジーが発達すれば、記録媒体が磁気テープからSDカードを経て進化し、匂いや熱まで記録することができるようになるのだろうか?
未名子の謎の仕事その1、「問読者(といよみ)」。クイズには対話があり心の交流が生まれる?それは分かる。しかし、たまたまアクセスしてきた解答者と問読者が心の交流を持つことで何が期待できるというのだろう?
未名子の謎の仕事その2、資料館職員。しかし、もう資料館が取り壊しになるという。何をどう残せば良いのか戸惑う未名子。過去の情報の蓄積は大事だ、としきりに言うのだがピンとこない。
膨大な情報というものは、整理されてこそ意義があると思うのだが…
「アウア・エイジ(Our Age)」5点
「ガラスの天井」問題など、いま「女性がキャリアを積むことの困難」に焦点が当てられつつあるが、ミスミ母娘にさらされた偏見がこの問題をリアルに描き出されている。能力が高い者が能力の低い者に押しやられ貶され自尊心や自己肯定感を打ち砕かれていくかなしさ。
ラストの「ああミスミ(略)君たちが生きていたということが、今確かに私に届いている」とわざわざ書くのはどうか?こう書かずに読者にこう思わせるのが小説というものではないか?
「点と線」など松本清張作品や楳図かずおの「わたしは真悟」のパロディのような話の運びは読み応えがあった。
「赤い砂を蹴る」5点
9章の最後「小さな背中を追って、赤い砂を蹴る」いろんな人の情念・血を吸い込んだような砂を踏みしめて、その上ではしゃぎ回る。このラストに向かって、複雑な話を組み上げる。
女性だからこその苦しみ。「後ろめたさを感じる」P67、子供の死は「母だけが母であるがゆえに責められた」P58、「私たちは男を見る目がない」P29。「何か同じものと戦っている」P32のが私たちだと。
男女の立場の非対称さ。貧困や日本の棄民政策のため、その矛盾が拡大されている。
女性であることの苦しみ味わいがしぶとくしつこく描かれている。
ただ、こうも男ばかりが亡くなるのは都合が良すぎるのでは。やや冗長にも感じられた。
「NHKの「乗船名簿」の番組でみたエピソードとそっくり」などといちゃもんをつける審査員が出るかもしれない。そういえば、審査員は参考文献まできちんと読んでいるのかなあ?
「アキちゃん」0点
「あたしなんかこんなに足が太くていやななっちゃう」は、さすがに女の子のセリフ。男は言わない。
「とりかえしがつかないほど」というのはどんな被害を受けたのか、ついに分からなかった。
「心憎い」P12、「手をかける」P14、「困り顔」P15、「いやしくもせがむ」など誤用ないしあまり使われない意味で用いられていることがあまりにも多い。
受賞作は…?
というわけで、「赤い砂を蹴る」か「アウア・エイジ」のいずれかかな、と予測します。
たぶん、「赤い砂を蹴る」でしょう。
私としては、「アウア・エイジ」が良いと思ったのですが、「赤い砂を蹴る」の方が今の審査員に好まれそうな気がするので。
「赤い砂を蹴る」は、このフレーズが作中に3、4回出てきたと思うのですが、ラストの「赤い砂を蹴る」以外は、単にその道を通った、という意味でしか書かれていなかったように思います。
さて、どうなりますやら?