「スーパースターはトリックスター」
令和元年9月
「むらさきのスカートの女」今村夏子(文藝春秋誌9月号))
小学校5年生の時のことだ。
毎年やる視力検査で検査の表のいろんな向きのCの字(ランドルト環という)が、
去年までは見えていた2.0のところはおろか、1.5のところもぼやけてさっぱり見えず、
かろうじて0.7のところがやっと見える、ということがあった。
自分としては、「そんなはずはない、どうしたんだ?!」と認めたくない気持ちであったが、
視力検査してくれた担任の先生は動揺する私をニヤニヤ見ながら
「目が悪くなるときって、自分では信じられないのよね」などと冷たく言い放つ。
近眼、という事実を認めたくない気持ちを抱えたままメガネを作ってみたら、メガネを通して見る世界のなんとクッキリ明るいこと!
メガネをしているとちょっと大人に近づいたような気もして、すぐにメガネが気に入ってしまったものだ。
黄色いカーディガンの女(権藤さん)は、メガネをしているかどうかは分からない。いや、途中でサングラスをしている、とあるのでしていないかもしれない。代わりにコンタクトレンズをしているかもしれない。
その黄色いカーディガンの女は、むらさきのスカートの女に憧れている。むらさきのスカートの女は、誰とでも気軽にコミュニケーションをとれる。仕事の同僚とも打ち解けて話し、公園の子供たちとも鬼ごっこして遊び、会社の上司とは不倫関係になれる。
そんなむらさきのスカートの女へのあまりにも憧れが強すぎて、黄色いカーディガンの女は、ほとんどストーカーみたいに付きまとってしまっている。それなのに、むらさきのスカートの女に、黄色いカーディガンの女はその存在すらほとんど認識されていない。
そしてむらさきのスカートの女が大きなトラブルに直面して困り果てているとき、待っていましたとばかりに黄色いカーディガンの女が解決のために助力しようとすると、途端にむらさきのスカートの女は黄色いカーディガンの女から去ってしまう。むらさきのスカートの女の存在自体が幻であったかのように。
近眼用のメガネは、凹レンズである。
つまり、光学的には対象を虚像として見せるものだ。
描かれている作品世界は、額面通りに受け取るには現実ばなれしすぎている。ちょっと辻褄が合わない部分が多い。
黄色いカーディガンの女の語りは信頼できない。これは黄色いカーディガンの女のメガネを通して見た世界なのである。
つまり、むらさきのスカートの女とは、こんなふうな女になりたい、と黄色いカーディガンの女が願った空想の産物、虚像と思われる。
むらさきのスカートの女は、黄色いカーディガンの女の空想の中でだけ活躍するスーパースター、黄色いカーディガンの女の空想の世界を秩序づける存在、であると言えるのかもしれない。
「むらさきのスカートの女」あらすじ
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