「部屋の中を窓ガラスを通して見ている他人は、もしかしたら自分自身の『副実像』かもしれない。」
令和元年9月番外
「百の夜は跳ねて」(月刊誌「新潮」6月号))
外向きに大きな窓がある喫茶店で時間をつぶしているときのこと。窓ガラスの前で顔をこちらに向けてしきりに前髪を整えている人がいた。デート前なのか、無心に髪をいじっている。つい見るともなく私がそちらに顔を向けるとその人と目が合って、彼女はちょっと驚いた顔をしていた。ガラスに映った自分の顔の方に夢中で、ガラスの奥に透けて見えていたはずの私には、はじめ全く気が付いていなかったのだ。
ガラス拭き職人も、きちんと仕事に集中していれば、きっとガラスの奥・部屋の中の様子など気にならなくなるのではないだろうか。
しかし、本作の主人公・翔太は部屋の中が気になって仕方がないようだ。部屋の中では、小さな子が全裸でテレビをみていたり、数十代のスマホを充電している人、自慰している男、など怪しい、恥ずかしい、滑稽なふるまいが見られる。そしてガラス窓には自分の顔も映り込む。
やたらと箱ばかりが置かれている部屋があり、その住人と思しき老婆が3706と翔太に見えるように窓に貼る。翔太はそれに誘われるように、その部屋を訪れる。
そこの住人の老婆は、翔太に部屋の内部を「記録」してきてほしいという。老婆はそれが気になるからだと言う。翔太は躊躇するが、結局は老婆の願いを聞き入れ、カメラで「記録」(つまり盗撮)してくる。老婆は、箱をビルに見立て、そのビルにもらった写真のプリントアウトを貼り付け、それを使って部屋にはいない美穂ちゃん潤ちゃんという幼馴染と遊んでいる空想に耽る。
また、翔太の母親は小学校教諭であるが、環境保護活動にも勤しんで、その活動のために教諭をやめて市会議員に立候補しようと思う、などと翔太に伝えてくる。そんな母親に翔太は苛立ちを覚える。
翔太が老婆は鏡を使わないことに気づき、そのわけを尋ねる。老婆は、なくても困らない、「私が思う私を知っている」「鏡は人を不安にさせる」「向こう側とこちら側、どちらが本当かわからなくなる」からと答える。
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熊本県立宇土高校の科学部物理班所属の高校生たちが、凸レンズによって作られる実像はひとつに限らないことを証明した。すなわち、レンズは光を屈折させるだけではなく、表面で反射させることもあるため、偶数回反射した光によって対象物と反対側に、奇数回反射した光によって対象物と同じ側に実像(副実像、と呼ばれる)を作ることを数式と実験によって示したのである。
ひとつの物体は、ひとつだけの像を持つとは限らない…
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老婆に渡した写真の中に、学校の現場に行き、女の卒業生が黒板に「先生、忘れないからね」と書かれたのがあった。それを老婆はわざと「忠告」の意味だと思い込んで空想を楽しむ。つまり、先生がその卒業生に恨まれるようなことをしたのだ、という意味と考えて。
また、墜落死した先輩が、幻聴で「ひとつのことを信じすぎるのはよくない」と忠告してくる。
翔太は、ひとつの事柄には複数の見方・考え方があることに思い至るようになる。
翔太は、母親の環境保護活動を傲慢で独りよがりだと思い疎ましく感じていたが、市議会選挙のポスターの写真くらいは撮ってあげようと思うようになる。
鏡とガラス、上流階級と庶民、死者と生者、などが対比的に描かれている。
作者自身の醜さと思われる描写があり、痛々しいが、よく自分と向き合って書かれたものであることが分かる。
プロレタリアというような、イデオロギー的な味わいは無い。
「百の夜は跳ねて」あらすじ
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