「父と子の葛藤を描いた名作!でも、鰻って清流にしか住んでいないんじゃあ…?」
令和元年8月
「共喰い」田中慎弥(集英社文庫))
どろどろしてモワッと嫌な臭いが立ち込めるような読後感だが、必ずしも嫌いではない、という参加者が多かった。
遠馬が基本的に純朴でお人好しな性格であるので、とぼけた感じで救われた、という。
登場人物たちが強い訛りで話していることから、豊かではない日本のどこかの地方ということが分かる。
基本的に父と子の葛藤の物語、父をいかにして乗り越えるか、という話だと思うが、仁子が父・円を殺してしまうのでは、その意味でどうなんだろうか、遠馬は円をも¥乗り越えたことになるのだろうか、という疑問が出ました。
性交時に暴力を振るう性癖について、女たちは誰も咎めたりはしない。増水して氾濫した川のように、抑えられない欲望・圧倒的な暴力を向けられた時にいかに凌いでいくか、と、女たちは現状に馴らされているようだ。
男性参加者から、思春期の邪念がよく表されているという意見あり。
遠馬の異常性について指摘する人もいたが、遠馬は自意識が過剰なのと、父親の暴力的なセックスを見たり聞いたりする機会があったため、若干暴力的かも知れないが、それほど異常とは司会は感じなかった。
性交時に暴力を振るうのは征服欲を満たしたいからではないだろうか、と意見が示された。
女性は生き生きと描かれているが、父・円の描写は曖昧でぼんやりした印象である。
生き物によるメタファが多い。
P55真ん中あたりから。
強い日差しの中、蝸牛が窓べりをゆっくりと這っている描写。蝸牛の歩みがゆっくりとしているから、どれだけ時間が経ったのか、はっきりしない。あまり時間が経っていないのか、何日か過ぎてしまったのかも分からない。そんなぼんやりした中で、遠馬は売春婦と暴力的な性交をする。もしかしたら悪い夢だったかもしれない、というふうな感じで。
幻想的で遠馬の不安定な心持ちが非常によく表された場面である。
仁子の義手は円が工場に頼んで作ってもらったものだが、最後にはこの義手によって円は殺されてしまうという皮肉。
司会は実は、受賞当時に本作を読んで、ちょっと露骨すぎて余韻が無い印象を持っていました。
たとえば、P19「川が割れ目」と、川のことを女性の陰部になぞらえるところ。川が女性の陰部に思えるのだとしたら、それをそのまま書くのではなくて、読者が自然とそう感じられるように書かないといけないのでは、などと思ったのだ。
しかし今回あらためて「第三紀層の魚」まで読んで、「こうはっきり書かないと分からない読者がいる(選考委員の中にも)からこう書いたのだな」と感じました。作者としては、本当はもっと淡く書きたかったのではないだろうか…
その歯がゆさがあったものだから、「芥川賞をもらっといてやる」発言になったのでしょう、きっと…
トップページに戻る