「恋愛を遊びと捉えるのが不謹慎とされるようになったのは、いつの頃からなのだろう?」

平成31年1月

「墨東奇譚」ぼくとうきたん永井荷風(新潮文庫)




耽美主義と言われた作者の代表作である。
対句や漢文訓読調を用いながら、リズムよく読める文章であるが、叙事的な場面と叙情的な場面、セリフが多いところや内的な独白ばかりのところなど変化に富み、また、主人公が作家という設定で、「失踪」という作品を書いていることになっているなど、複雑なテクストになっているという指摘があった。

ストーリーの骨格は、主人公の小粋でスマートな玄人女ユキとの出会いから別れまでを描いている。
参加者からは「なぜ主人公はユキをあっさり捨てるのか?」という疑問が提示された。
その疑問については、これ以上深入りするとユキを傷つけ、汚い終わり方になるから、という結論に落ち着きました…

男女の関係がおおっぴらに商売として成り立っていたころの心情は、今の時代に生きる私たちにはリアルな部分はわからなくなってしまっているのだろう。
しかし、現代でもパパ活などと言い訳しながら擬似恋愛がお金で売り買いされているところを見ると、豊かな時代になっても、男女関係には金銭は密接に関わってきてしまうものなのかもしれない。
吉原の古本屋で古着屋から長襦袢を買ったわけだが、これは今で言う「ブルセラショップ」だろうか?(いや、もはやブルセラショップは「廃語」かな…?)


女の人の描かれ方は都合が良すぎてやや平板な感じがする、主人公の周囲の人々を見下したような尊大な態度が鼻につく、玉ノ井の案内が間違いだらけ、当時の時代のことがよく描かれている、最後の「作後贅言」は要らないだろう、作者自身が三田派を率いていながら徒党を組む者を馬鹿にするのは卑怯だ、などの意見あり。
私としては、p40「暴力団」p50「彼氏」「彼女」「愛の巣」というのはもう昭和ひと桁のころからあった言葉なのだなあというところに感じ入ったりしました。
逆に、「活動写真」はいまや「廃語」であるが、当時に生まれた新しい言葉は現代に息づいているのが面白い。


↓おまけ、今回のホワイトボード…


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