「私たちは、本当のことを教わっているだろうか?」
平成29年11月
カズオ・イシグロ「わたしを離さないで」(ページ数は、ハヤカワepi文庫第50刷版)
司会から投げた質問。
Q1、クローン人間はどうやって生まれてくるか?(p399に答えあり)
Q2、なぜクローン人間以外から臓器移植しないか?
Q3、どうして「提供者」は逃亡しないのか?
Q4、モーニングデール・スキャンダルとは何か?(p402に答えあり)
Q5、本作を映像化するとしたら、キャス、トミー、ルース、マダムは誰が適役か?
Q6、臓器移植技術があったら、受けたいですか?
Q7、エミリ先生、好き?
といった質問を投げかけました。
冒頭から「介護人」「提供者」などの言葉が出て、この小説の設定がただならぬものであることが仄めかされる。しかし、ストーリーは一つ一つはたわいもないエピソードが積み重ねられていき、その世界が緻密に描かれているため、読者は徐々に違和感をなくしてその世界観を受け入れていってしまうという仕組みになっている。
イギリスによくある寄宿学校で成長していく子供たち。かれらは実は誰か病気になった人が、臓器移植を受けるために育てられている人間であることが明らかになっていく。
あらかじめ誰かのために臓器が奪われることが予定されている子供たちなのだ。
しかし、子供たちはその運命を受け入れて大人になっていく。
これを、「健気に」と表現して良いのだろうか?
先生たちは、子供たちに重要なことを教えるときは、ほんとうに理解できるようになる少し前に教えているようだ、とトミーは訝っている(p129)。「教わっているようで、教わっていない」(p66ほか)。もしかすると私たちにも耳が痛いかもしれないこのフレーズは、作中になんども登場する。
Q3は、これが答えになるのかもしれない。「提供者は子供の頃から本当のことを教わっているようで教わっていないから」。
ルーシー先生が馘首されたのは、子供たちに本当のことを教えようと主張したからかもしれない。
本当のことを教わった子供たちは、逃亡するだろうか?あるいは反乱を起こすだろうか?
提供者たちの間には、「心が通いあっている者同士でカップルになったら3年ほどの提供猶予期間が与えられる」という噂が流布している。それを信じて、懸命にパートナーを探す者もいる。そして心から愛し合っているということを誰にどのように証明すればよいのか、オロオロと惑い歩く。
(参加者からも、「愛している、とか、感情の証明を求められたら、みなさんはどうしますか?」という問いかけがあった。)
キャスとトミーも、ルースの助力を得て猶予の可能性に掛けようとするが、最後にエミリ先生とマダムに会って知った内容は彼ら提供者には冷酷なものだった。
猶予などはないのだ、と。
さらに、ここに至って本当のことを教えられる。臓器移植のために「養殖」された自分たち。政治的な流れの中で少しでも良い人生を送れるようにという運動のおかげで、ほかの提供者よりは良い教育を受けられたが、結局はみな同じ提供者として扱われるだけだ、という事実を告げられる。
虚しさと悲哀でいっぱいになる読後感である。
会ではQ6で、もし自分がALSなどになったら、この小説の設定で、臓器移植を受けたいですか?という問いかけで、多数の人が「受けたい」という意見でした(司会も、「受けたい」)。
その時に司会が披露した話。
冬のアンデス山中だったかに墜落した飛行機の生存者が、死んだ人間の肉を食べて冬を越して、雪解けになってからふもとに助けを呼びに行って救助されたという事件があった。「生きてこそ」という映画にもなった事件である。
若い大学生たちは空腹のあまり死人の肉を食べる選択をしたが、ある老夫婦はそれを拒否して餓死したらしい。
会ではここまで話したのですが、もう少し続きがあって、死人の肉を食べて生きながらえた人々は、どうやら事故直後に死んだ人の肉の方が栄養豊富であることに気がつき、また、食事の便利のために、死人の骨でフォークなどの食器を作っていたという。
ところで、クローン羊のドリーが作成されたことが明らかにされたのは1997年のこと。場所はイギリス。
私は当時、社会人になったばかりだったが、卒業した大学では遺伝子を扱うような研究をしていた。夕刊の1面に小さく組まれた記事を読んで驚きを禁じ得なかった。すぐに友人に電話をかけて夜遅くまで議論したのを思い出す。
マスコミも、はじめは事の重大性を理解していなかったようだが、海外での扱いが大きいことに釣られて、数日後に大きい記事にしていた。記者たちも事件の本質的な意味を理解していなかったのだ(あるいは、未だに理解されていないのかもしれない)。
私や友人は、きっとテロメア(細胞分裂が許される回数を制限するもの)が短いから短命に違いないなどと言っていたが、ドリーのその後の経過を見る限りは、寿命も病気のかかりやすさも、特に普通の個体と変わらないようである。
私は、この小説を何度か読んだのだが、実はいまひとつ技術的にどういう状況を想定しているのか、はっきり分からないところが大きい。
まず、クローン人間を作ることの技術的な意義について。
臓器移植が目的なのであれば、もっとも肝要なのは「免疫学的な拒否反応を起こしにくくすること」になるはずである。
だから、自分自身のクローンから移植するのであれば、クローンを「養殖」しておくことには意義があるかも知れない。しかし、作品の設定ではそうなっていない。基本的に別人に臓器移植しているようだ。第一、自分のクローンを作った場合、先天的疾患であればクローンも本体と同じ疾患に罹る蓋然性は高いし、後天的疾患に備えるのであれば恐ろしく高コストになるはずだ。(なにしろ、もうひとつの人生を歩んでいる人間の人生を台無しにするわけだから。)
他人に移植する前提であるなら、現代の骨髄バンクふうに、各臓器の免疫型を調査して、なるべく多くの人が移植可能となるような遺伝子を少ない人数でカバーできるようにするのが合理的なはずである。ところが、作中では、クローンのための細胞を提供するのは精神疾患患者を除く人で、アル中や売春婦などのろくでもない人間ということになっている。
また、モーニングデール・スキャンダルという、遺伝子操作して運動や頭脳に秀でた人間を造る研究をしていたという事件が、クローン人間の待遇改善運動に水を差した、ということになっているが、これはどういう関係なのだろうか?
「ある人のクローンを造る」ということと「ある人の人権を無視して、ほかの人に臓器移植してしまう」ということと「遺伝子操作して優秀になることを設計された人間を造る」ということの、3つの事柄には実は関係が無いのだが。
エミリ先生とマダムの説明で、納得させられたとすれば、私たち読者も「教わっているようで教わっていない」のではないだろうか。
早川書房の社長さん、副社長さんは、カズオ・イシグロさんの作品価値を早くから見出して契約して昔からの友人だそうだ。(若い副社長さんは、彼に結婚の仲人をしてもらったという。)
そして、2017年のノーベル賞受賞。
日本でイマイチ盛り上がらないのは、純文学離れのなせる技か。
早川文庫・ハヤカワepi文庫は、ハイクオリティーレーベルになったなあ、と感心します。こういう出版社がどしどし純文学・文学界を盛り上げていってくれるのですねえ。(老舗レーベルも、見習って頑張って欲しいものです…)
↓おまけ、今回のホワイトボード…
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