「しんせかい」というより「はんこうき」?

平成29年3月
「しんせかい」山下澄人(ページ数は文藝春秋誌2017年3月版)



司会からは次のような質問を考え、Q1,2,3を会で投げかけました。
Q1、p408下段、p438下段などに出てくる「足元に誰かいた」とは誰か?何の目的で?
Q2、スミトと友達になりたいか?
Q3、本作を映像化するとしたら、スミト、けいこ、【先生】は誰が適任か?

この小説は、回想して書いている体裁である。ラストで「もう一年、谷にいてから出た」などと書かれている。
では、どのくらいの時代に、この19歳の時代を振り返った、という設定なのだろうか?
全体的に少し拙い話し方のような文体であるから、谷を出てからそれほど経っていない段階で書かれたものだろう、という説が有力であった。選考委員からは「語彙が少ない」という指摘もあったそうだが。
作中で、【先生】に絶賛された、または全否定された劇の具体的な内容にはあまり触れられておらず、あくまで谷での実際の生活の描写に終始している。

Q1について。やはり、基本的にはスミト自身であるというのはほぼ全員の一致した意見であった。「誰か」がそこにいた目的は判然としない。19歳の時点でのスミトが会いたい将来の自分の幻覚を見た、という意味では、数年先の自分の将来すら見えない焦燥感が、安心が欲しくて見た幻覚(自分が何かを成しえて、何者かになるのだという安心)という解釈ができるだろう。
谷という、一種現実離れした「異界」に行って帰ってきたという話である。暴れ馬に必死で捕まって帰ってきて窮地を脱したのも、栄養失調で倒れたが快癒したのも、異界から戻ってきたというニュアンスがあるかもしれない。

P431上段
「実家から黒いとっくりセーターとたばこが来た。これで暖かいぞと着てみたらいたるところがチクチクした。どうしてわざわざ無理をさせてまでとっくりセーターを送ってくれと頼んだかというとあまりにも持ち物では寒かったからで、どうしてわざわざチクチクしないのをと頼んだかというとセーターを着たときチクチクするのが何よりも嫌だからなのだ。なのに。」
この記述は、論理的にはほとんど何も言っていないに等しい。チクチクするのが嫌だ、というのを言い方を変えて同語反復しているにすぎない。しかし、これをわざわざ書くことが、この小説の雰囲気を決定づけている。表現も思考も拙い感じとか。

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作中の【先生】はやはり、あの人なのでしょう。まあ、率直に言って、【先生】は、たまにちょっと良いことを言ったり生徒をいたわってくれることもあるけれど、基本的に気まぐれで独善的で差別主義者で、人を教えることができない人間として描かれている。
会では、【先生】は知識や教養の高さが邪魔をして、ワンパターンなものしか作れなかったのではないか、だから田舎で土と格闘して生きるような生活に憧れて、それを生徒たちに押し付けるという形になったのではないか、との指摘があった。
作中では、【先生】の優しさや人間的な温かみも描かれているが、若者たちが【先生】に振り回されて困らされたというエピソードが満載だ。おまけに、【先生】は、「農民はろくすっぽ挨拶もできず、人の迷惑も考えることもできないけど憎めない人々である」などというふうにきわめて差別的に捉えていることなどが暴露されている。

さて、半ばリタイアした【先生】を、ここまで手酷く描写するのは、
1、作者は【先生】に十分気に入られているので、これくらい書いても許してもらえるから
2、作者は【先生】が表舞台からかなり身を引いてきて高齢でもあるので今更叱ることはできないだろうと高を括っているから
3、作者はこの作品は【先生】の本当のところをみんなに知ってもらうために愛情を持って書いた
4、作者はこの作品は【先生】の本当のところをみんなに知ってもらうために憎悪を持って書いた
5、作者はこの作品によって【先生】の評判が落ちたりはしないと思っている
6、そもそも、これはフィクションで、【先生】は全く架空の人物だ
のうちのどんな心境だったのであろうか?(20点)

十分時間が経って、良かったことも悪かったことも十分咀嚼して冷静に書くことができる年齢になったということか。

ただ、私には、ひどい目に遭った(遭わされた)恨みつらみを晴らすために書いた作品という面があるような気もする。いまさら、反抗期が来たのかなあ…

↓おまけ、登場人物の関係図…


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