「子供と大人の、埋めがたい『距離』」
平成29年1月
「グランド・フィナーレ」阿部和重(ページ数は講談社文庫第2刷版)
司会からは次のような質問を考え、Q1,2,3を会で投げかけました。
Q1、本作を映像化するとしたら、沢見、麻弥、亜美は誰が演じる?
Q2、ずばり、この後、沢見は二人の女の子に手を出してしまうと思うか?
Q3、グランド・フィナーレとは、誰にとってのフィナーレか?
Q4、I、Yと、なぜ二人だけ名前がアルファベットであるか?
Q5、麻弥と亜美は本当に自殺したいと思っているか?
本作は、北関東に実在する「神町」(じんちょう、と読むらしい。作者の出身地だとか。)が舞台になっている、阿部和重さんの一連の小説群のひとつである。
本作は、沢見が自分に起こった事件を内的独白として語るという体裁で、ストーリーが語られていく。第?章では沢見の身上を、第?章ではそれを踏まえて神町で起こる事件が描かれる。
冒頭で、沢見は、自分が自分の子供と、美江をはじめ多くの子供たちに対してやったことを冷静に見ているようで、十分客観視できていないようだ。その証拠に、接近禁止命令が出ているのに、不用意に(元)自宅に近寄ったりなどしている。
おまけに、友人を介して自分の娘に手紙を書いてまんまと連れ出そうなどと画策をしている。再犯を繰り返す犯罪者心理を生々しく描き出している。
しかし、沢見は風邪を引きホテルで熱でうなされている中で訪ねてきたIとの問答の中で、自分のやってきたことを振り返る。そのあとは「生活がひどく単調になった」(p101)という。娘への執着も失くしてしまったかのようだ。
そしてやむにやまれぬ事情で、麻弥と亜美の演技の指導を受け持つことになった。沢見は、麻弥と亜美を破滅から救済に導くことができるだろうか?それができれば、沢見にとって贖いになり得るか?また誘惑に勝てるだろうか?
参加者に投げた質問Q2は、大半の人が「手を出してしまう」という意見でした笑。「亜美が死んで麻弥に手を出す」なんていう意見もあり。それは最悪のパターンだけど…
Q3は、大半の人が、沢見と麻弥と亜美にとってのグランドフィナーレである、との意見でした。演劇の本番はまだまだ先なのに?という意味合いでの問いかけでしたが、やはり3人が本音で語り合って心の底を見せあったときが最後の舞台というべきなのでしょう。願わくば、フィナーレが大団円でありますように。
作者はゲームが好きなので、冒頭の表現や登場人物の名前にその影響がある、との指摘あり。
ジンジャーマンは、いつも誤ったことしか言わない。
社会的な事件を入れ込んでいる部分あり。台風の日が「9月11日」とか、インコの名前が「ドリー」とか。
Q4は、連作小説群の中では、一度きりの登場人物なので、重要性が低く名前を出すほどではなかったのだろうとの意見あり。
IとYは、私のIとあなたのyouのYに通じ、第?章の最後の場面は、沢見は熱にうなされていて、沢見とIの会話は、さながら沢見が幻覚を見ているかのようで、沢見が自問自答しているようにも取れる。
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外国語を学ぶと、「この言語を使う人は変だなあ、自分とずいぶん違うなあ」と思うことがあるけれど、結構「日本語と似ているなあ」と思うことも多い。
例えば、英語の”long”というのは、空間的に離れていることと時間が経っていることの二つの意味で使える。つまり、日本語の「長い」というのとピッタリ同じである。欧米人も日本人も、根本的な部分は一緒だな、という気がしてホッとしたものだ。
しかし、同じ日本人でも、子供と大人とでは距離の感じ方が違う。
自分を振り返ってみても、例えば電車で30分の距離は、今では近いな、という感覚を持つけれど、小学生のころはずいぶん遠いと感じていたものだ。
つまり、子供たちには時間的にも空間的にも世界というものはとても狭く、今この場所しかないという切迫したものを持っているのだ。
だから沢見は麻弥と亜美に「お別れといったって、二度と会えなくなるわけじゃない。」「メールとか電話とかで連絡は取れる」(p126)と説得を試みるが、
それに対し麻弥と亜美は「あたしたちには今が大事なの。今しかないんです。もうすぐ最後なんです。」(p127)と聞き入れない。
そして沢見はこう語りながら、むしろ距離を感じるのはちーちゃん(自分の娘)との間についてであると感じている。「わたしの絶望的な状況に比べたら、君たちの別離はまだ増しなほう」(p127)というふうに。
そんな沢見は少女たちの画像を見たとき、「ちっぽけでぼやけたデジタルの像を見つめることによって感受されるのは、やはりどうにも埋めがたい被写体との距離であった。」(p69)と思っている。
つまり、空間的時間的な距離よりも、心理的な距離がもっとも厄介なのだということを沢見は体験を通して学び、それを麻弥と亜美に伝えたいと思っているのである。
沢見は、カメラのレンズのように、自分の周りの状況をただ見ているだけのようだ、という感想を持った参加者もいた。(「No More 映画泥棒」のパントマイムの人みたいに?)
時間的空間的心理的に、正しい対人的距離が取れるようになるための試練が沢見には続く。
↓おまけ、登場人物の関係図…
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