「絶版は、しばらく待ってください!!」

平成28年5月
「年の残り」「笹まくら」丸谷才一


「年の残り」「笹まくら」(ページ数は前者は文春文庫第12刷、後者は新潮文庫第19刷)

最近は、作家が亡くなると、その著作本がすぐに書店の店頭から消えてしまうことが増えていませんか?丸谷さんも亡くなって以来、早めにやらないとなあと焦っておりました。で、やっと打順が回ってきたので、つい張り切ってテキストを2冊にしてしまいました…
皆さん、笹まくらの方が読了できず途中までだったようで…


「年の残り」
老年期に差し掛かった多比良が、自身の一生を振り返ってあれこれ自己評価するという話。
内的独白と行動の描写が混ざった文章で、はじめは少し読みにくいが徐々に慣れていく。
快活そうにしていた初老期の友人がなぜか猟銃自殺してしまうことについて、皆がとやかく理由をあげつらうが結局はっきりしないままである。それに対して、同世代の友人の妻の朝子の自殺の時は、多比良が朝子の遺書を確認してそれを隠して廃棄してしまったので、多比良だけが自殺の本当の理由を知っている。みんなは自殺の理由について推量するしかない。行動とそれの理由はえてして乖離している。P83で、おばさんが結婚しなかった理由について、甥は思い違いをしている。
ところでp56の1行目の「この問」と「答」と「反駁」とは何のことなのだろうか?新聞記者が年賀状に「御無沙汰して居ります。今でも時々思い出して見ることがあります」という曖昧な文を書きつけてきたことについてのようだ。この新聞記者は多比良が朝子の遺書を隠匿したかもしれないと疑っているかもしれない、と多比良は思っている。(ややこしい)だから、1「年賀状に曖昧な文章を書いてきた理由」、2「朝子が自殺した理由」、3「朝子の自殺現場に遺書がなかった理由」、4「朝子は遺書を書いたに違いないのに無いのだから、多比良が隠したのだろうが、多比良が隠した理由」が考えられるが、このうちに「反駁」をしなければならないとなると、4ということになる。思わせぶりな書き方をしている。
内的独白を多用し、いわゆる「意識の流れ」というものを考慮された文体である。作中でも「無意識という概念が時として有効性を持つ仮説であるということは認めるが、それに過大な役割を与えるのは危険である」とも自分自身で書いている。(ちょっとあざとい気もするが。)ただ、意識を気にしすぎると、物事の因果を、人の行動や選択で決めつけてしまうというきらいが出てくるように私は思った。
K沢さんは、「皆がお互いを羨ましがっている」という意見を出された。みんなが不全感劣等感を持っているのが、この作品の暗い感じにつながっている。


「笹まくら」
戦争というものが嫌いで、入営直前に逃亡した経験がある男・浜田(=杉浦)の話である。
戦争忌避者が、戦後になってまで差別されることの不合理さ。戦争が唾棄されるべきものであるのなら、戦争忌避者は賛美されるべきであるのに、ほとんどの者が差別する。民衆の戦争に対する本当の気持ちが表されているのだ。
国家が戦争という熱病にうなされている間、逃亡のため砂絵を売りながら全国を旅しながらめぐる。激しい戦争が行われているというのが嘘のような回幻想的な旅。保護してくれる女性とも巡り合う。しかし、戦争が終わってしまうと、浜田も幻想からさめる。演じていた「杉浦」という役割を終えて、舞台から降りるように。それこそが砂絵であるかのように。
浜田がどうして徴兵忌避したのか、どうやって逃れたのか、はストーリーを読み進めると分かる仕組みになっている。過去の事件はストーリーが進むにつれ遡っていく構成になっていて、あとでいろいろなことが判明するというのも秀逸で胸を打つ。


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