「自分と全体、重さと軽さ」

平成27年10月
「パーク・ライフ」吉田修一



「パーク・ライフ」吉田修一(ページ数は文春文庫第12刷版)

HeLa細胞という株化された実験用の細胞がある。非常に標準的に用いられる細胞で、世界中の多くの生物系の研究室でインキュベーターに保存されている。 この細胞のもともとの由来は、ヘンリエッタ・ラックスという癌で亡くなった女性の癌細胞で、これを増殖させ頻繁に生物の実験で用いられているうちに、最もメジャーな実験用細胞のひとつとなったのである。 本人が死んだ後にまで増殖を続ける細胞。
しかも、世界中に散らばって、今後も増殖し続けることだろう。

さて、「パーク・ライフ」。
冒頭から、臓器移植の話が出てくる。「死んでからも生き続ける私の臓器。」
また、美しいモナリザを描いたダヴィンチの間違った「人体解剖図」。
お腹の中にいる時、赤ん坊は異物と感じたけれど、死産となり自分から離れたら自分の一部だったと実感する話。
上空から見た日比谷公園は、さながら人体模型図のようだろうと予想する主人公。
内側に潜んでいたものが主体となって外側にくるっと出てくる。主人公が会社の同僚に、公園のベンチで視野をうまくすると、遠近が変な風に感じられて面白い、というエピソードは、内と外の逆転を思わせる。
ところでHeLa細胞は、ヘンリエッタの遺族が、病人から勝手に不法に採取されたものである、と訴えたとのことであるが、裁判によって、遺族の承諾なくHeLa細胞を実験用に用いることは問題ないとされた。
公園も、臓器も、全体の共有物となってこれからも存在し続ける。
内と外、個と全体のあいまいさ。
テクノロジーの発達や人々の意識の変遷が、あいまいさをさらに増していくことだろう。

参加者のみなさんからは、ラストの「決めた」というのは何を決めたのか?という疑問が提示されました。
…なにを決めたのでしょうかねえ…
ある人の「内」のことは、ほかの人からは分からない、ということで、いろんな解釈ができるのかもしれません…

もう一遍の「flowers」もみなさん楽しく読めた、とのことでした。
高度経済成長のころは、経済をはじめ何でも「重厚長大」が良しとされていました。時を経て、現在では「軽薄短小」の時代と言われています。
つまり、軽くてコンパクトなほうが、重くてずっしりしているものよりも良い、という価値観が支配的と言えるでしょう。
しかし、主人公は、結婚相手の指向もあって、九州で親戚が経営している手堅い墓石会社の勤務を辞めて東京に出てくるのですが、結婚は失敗だったか、九州を出たのはまずかったか、と常に後ろ向きな自問自答を繰り返します。
それに対して、望月元旦君は、軽いことこの上ない。しかし、その軽さゆえに最後は手ひどい報復を受ける。
クンデラの「存在の耐えられない軽さ」でも、重さと軽さの間で主人公は悩んで、結局どちらでもないと言いつつ、責任あるものは重さを引き受けなければならないという結論であった。
この主人公も、ラストでは重さを担う覚悟ができたように感じられた。


今回も充実した議論ができました。
参加者の皆様に感謝申し上げます。

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