「生きにくさを抱えている人の気持ちが繊細に描かれる名作!…ただし『つゅん』(p79)をどう発音するのかは教えて…」
平成27年7月
綿矢りさ「蹴りたい背中」
綿矢りさ「蹴りたい背中」(ページ数は、河出文庫第26刷版)
本作は、作者が19歳の時、第130回芥川賞を受賞したが、同時に受賞したのが弱冠20歳の金原ひとみさんだったので、注目を浴びた。話題先行などと言われがちな二人の受賞作ですが、さてその内容は如何に…
冒頭、のっけからプリントを短冊状に切りまくって山積みにする主人公ハツ。(しかしカタカナでハツとかって、なんかお婆ちゃんぽい名前…別にいいけど。)
このふるまいは「授業が退屈です」というアピールと思われるのだが、大変あざとい。退屈な理由は、授業だけではなくて、級友たちが無益としか思えない友達グループを形成することに余念がなく、それがくだらないとしか思えないからだ、などと自分で言い訳をしている。
この小説では、にな川という級友も出てきて、彼も非常に変わったキャラクターとされているのだが、ハツの奇妙さはにな川の比ではないだろう。
ハツは全編を通して奇妙な行動、不審な振る舞いのオンパレードだ。物語は彼女自身の言葉で語られている体裁を取っているから、読者はつい見過ごしてしまうかもしれないが、相当のものである。
絹代にグループに入るように促されても断じて拒否をし(当人たちがすぐそこにいるのに)、店のコーンフレークの試食を毎朝全種類食べたり、部活の練習のランニングでだけ他の部員に対して敵愾心をひそかに燃やして本気で走り、おまけにそれで不器用にも転んでしまう。練習で手を抜いているほかの部員に実力で劣り、光化学スモッグの校内放送は一人だけ聞こえず、周囲の学生たちがいなくなったことにも気が付かない。みんなが本人には言っちゃいけないと思っているのに本人に「唾本うるさい」と言ってしまい、遠足の写真の上映会で気をつけていても一人だけケーブルに足を引っかけてしまう。考え抜いて選んだ私服が「虫取りの少年みたい」などと言われて自分でも変な服だと認める。いつも他人にイライラして内心悪態をついているのに、いざ他人と会話をするときには緊張してしゃべれなくなる。昼食はカーテンにくるまって食べる。…
ハツは、情緒交流の乏しさとコミュニケーションの質的な障害を軽度かかえ、自分は特別な存在だと思いむやみに自己評価が高い割に不器用で実力が伴っていない、自信家(というより過信家)である、常に緊張して不注意である、感覚とくに聴覚が過敏、という人間として描かれている。
多分に発達障害の傾向をもったキャラクターである。
こういう実力がないのに鼻持ちならない、というタイプの人はえてしてグループから疎外され、場合によってはイジメに遭うことが多い。
ハツの場合は、幸いにして絹代はじめ周囲の人が優しいからイジメには遭っていないようだが。
また、にな川の「にな」の漢字について、「かたつむりみたいな字」と評したり、そんなに複雑ではない構造の無印良品の店内の略図がうまく描けないなど、書字や空間把握の異常性を疑わせる。
それにしても、「発達障害あるある」をこれだけよくもまあ集めたものだなあと感心してしまう。しかも、きちんとストーリーの中で消化されて、ハツのキャラクターや場面を描くのに有効に使われているのが凄い!
最近では、トラブルメーカーになりがちな発達障害についてどのような対処をすべきか、ということが徐々におおっぴらに議論されつつありますが、まだまだ一般の人々の理解は少ないことだろう。
その点、この小説を読むと、そういう変わった感性を持っている人がどんな風に感じて、どんなふうに振る舞うのか、が良く伝わってくる。
好きな男の子に対して、安定的な対等な横の関係としての恋愛をすることができないハツ。だから恋愛感情を持ってしまったことに自分自身で気付かないふりをして、相手の異性に対し「上から目線」で接し、でも近づきたくて、そんな相反する感情の発露が「背中を蹴る」ということなのだろう。
さらにハツには背中を蹴っても許してくれる(趣味はちょっと変わっているけど。それゆえにハツが優越感を持つことができるわけだが)にな川が現れた。先生も級友も、まずまず温かく見守ってくれているし、ハツはなかなかの果報者といえるだろう。
作者の綿矢さんは、これを書いたのが20歳の頃とのことだから、おそらく発達障害なんてものをよく知らずに書いたと思われる。つまり、高校生くらいの時から実際に生きにくさを強く感じているであろう人をよく観察していて、この小説に書いたのだろう。
「こういう生きにくさは抱える特別な人を描くことで、多くの人が感じている矛盾を表現できる」と綿矢さんは直観したわけである。
凄い才能である。
今回も充実した議論ができました。
参加者の皆様に感謝申し上げます。
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