「貧しいころにこそ、人間の本性が見える」
平成27年5月
松本清張「或る『小倉日記』伝」(ページ数は、新潮文庫第78刷版)
松本清張「或る『小倉日記』伝」(ページ数は、新潮文庫第78刷版)
有名な松本清張ですが、これまであまり読んだことがないという人がほとんどでした。
「或る『小倉日記』伝」
母と息子の二人三脚で、鴎外の失われた「小倉日記」で書かれるはずであった情報を埋めていくことに成功する話。このように書くと、ありがちな母と息子の美しい愛情物語のようだが、「鴎外が小倉で過ごした3年間の様子を詳細に調べる」という茫漠とした課題に対して、耕作がどのようにアプローチして、どれほどの手間暇苦労をかけて情報を集めたのか、詳細にリアルに描かれているので読者はハラハラしながら、耕作を応援するような気持ちで、どんどんと物語に引っ張られて読まされる。
母ふじは、美貌と財産があったのに、身体的に不自由であった息子を不憫がるばかりに、再婚話には見向きもせずに息子の仕事を全力で支えていく。それも、あまり口出しはしないで、黙々と息子を支えて手伝う。本当に必要な時だけ、母が自分の判断で息子よりも前に出てくる。母子の関係は、この仕事を達成するために密となり、孤独を深めていく。
この母子の努力の甲斐あって、鴎外が小倉で過ごしたころの様子が生々しく浮かび上がってくる。宣教師に語学を習い、仕事では上下関係に厳しかったが仕事を離れるととても気さく。女性関係には大変慎重。舞姫事件を起こしたエピソードを考えると、少し意外である。
しかし、ここまで鴎外の3年間の様子を調べ上げるために母子が支払った代償はとても大きいものだった。豊かだった財産はすっかり失われ、耕作は健康を損ね、ついには命を落とす。
おまけに、皮肉なことに、「小倉日記」は耕作の死の数年後に発見される。
この母子の努力は、犠牲は、いったい何のために払われたのだろうか?他人にも理解されず、二人きりで孤立して、財産も健康も失って。母子は幸せだったろうか?
本当のところは分からないが、きっと幸せだったのではないだろうか。
耕作の宿願は結局は達成されたのだし、それは耕作とふじが協力できて初めて成し得たことであるし、二人の絆はとても強くなったであろうから。耕作もふじも結婚できなくても良いと思えるくらい。他人には想像ができないくらいに。
ところで、K氏がp25でふじが耕作について「夫のように仕え、幼児のように世話をした」とあるのは、性的な関係をしたように思える、という提起をしました。
「関係があったのではないか。」「それは読みすぎでは?」という双方の意見がありましたが、結局は分からないというところに落ち着きました。私としてはp53にも、母子が孤独感を深めた描写について「二人だけの体温であたためあうようになった」とあるので肉体関係があったのではないか、と思いましたが、この時のふじの年齢が60歳くらいなので、あくまで比喩的描写ではないか、との意見もあり。
「菊枕」
他責的、両価的で自己愛が強く、他人に認められたいという気持ちが異常に強い、ぬい。
しかし、ぬいは俳句に対しては一途で真摯であった。
夫と公認の愛人が居たことで大きな業績を残した岡本かの子と対照的である。
「断碑」
既成の権威を、才能ある若者が切り回るのは痛快で楽しく読める。主人公卓治は、中卒がコンプレックスだったけど、中卒だからこそ、これだけやれたという部分もあったのでは、という意見も出ました。
「喪失」
田代二郎のダメ男ぶりに非難ゴウゴウでした。
あさ子もどうしてこんな男に執着するんだか、理解に苦しむ、などの意見がありました。
ただ、この時代は戦争の影響で、適齢期の男性がかなり少なかったので、あさ子が男に捨てられたくない、という気持ちは、いまでは想像できないほど切実だったのでしょう。
…それでも二郎のあさ子に対する仕打ちはないわ、という意見で一致しました(笑)。
今回も充実した議論ができました。
参加者の皆様に感謝申し上げます。
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