「♪川の流れのように…」
平成27年2月
宮本輝「螢川」
私は、中学高校時代、阪急神戸線に乗って神戸にある学校に通っていたのだが、通学途中にいくつも川を通り過ぎていく。
でも、昭和60年ころのことだから、川は綺麗に護岸工事されて、船上生活者が川でたむろしているなどということはなく、
毎日のどかな風景を眺めながら通学していたものだ。
今回の課題にした「螢川」は、新潮文庫では「泥の河」とセットで収載されている。
K村氏は、この両作は、作品に漂う雰囲気が似ていると感じたそうだ。
ちょこちょこ人が死んでしまうので寂しい、思春期の男の子が女の子に対して感じる「フェロモン」に戸惑う様子、
主人公は複雑な家庭に生まれていながら多くの人に愛される、貧しさの精神的重荷から異常を来たす者が出るなど。
基本的に両作は似ている部分が多いが、私は対照的だな、と思った点もある。
それは、「泥の河」では、河は容赦なく弱っているものを飲み込んでいくイメージであるのに対し、
「螢川」では、川は死だけではなく再生のイメージも兼ね備えている点だ。
「泥の河」は、昭和30年ころの時代設定であるが、多くの人はまだまだ川や海の近くに住んでいて、
貧しい生活を送り、悲惨な事件がしばしば起こっていた時代である。
重い荷役に耐えかねた馬車にひき殺されたり、川底のゴカイを攫っているうちに、
川の中に消えてしまう老人がいたり。
(魚の餌にされたゴカイたちの恨みであるようにも思われて、恐ろしい描写である。)
喜一・銀子兄弟も川の彼方に消えてしまう。
この頃は日本全体がまだ貧しくて、うっかり食いっぱぐれると、本当に餓死しかねない社会だったのだろう。
子供たちも荒んでいた。(喜一は、捕まえたカニに火をつけて遊ぶことに喜びを感じるなどの情緒不安定な面を見せていた。)
だから、親たちはそれぞれの家を値踏みして、自分たちと階層が合わないと悟ると
「あの子達と付き合ってはいけません」などと交際を制限したものであった。
それもやむを得ない時代だったのだろう。
銀子が信雄の母からワンピースを充てがわれて、よく似合うから上げると言われたにも関わらず、もらわないと拒否する。
参加者のK村氏は、銀子自身が施しを受けたくないというプライドを持っていたからでもあろうが、
もらって帰ると母親が「返してきなさい」と言うであろうからそれを見越して断ったという面もあったのではないかと考えたそうだ。
物がまだまだ不足している時代だからこそ、物のやり取りに付きまとう感情は重荷になることもあっただろう。
参加者のS氏も、「時代の空気がよく表れている」とこれらの作品を読んで感じたらしい。
こんなふうにすべてを飲み込む泥の河に対して、螢川は大きな川の小さな支流として、身近にありながら、
どこかで人知れず多数の螢を育んで、幸運なものにはそれが乱舞する美しいさまを見せるという、どことなくメルヘンチックで希望を感じさせる存在である。
螢川の作中では、人の世の悲しさは、どんよりした雪や迫力ある三味線の音色に象徴されている。
ラストのシーンでは三味線の音が聞こえてくるようだった、と参加者のn氏が指摘していた。
また、Y氏は蛍が英子にまとわりついて、人の形に光っていたというのは、まるでフェロモンが漂っているからのような感じだと指摘していた。
今回も充実した議論ができました。
参加者の皆様に感謝申し上げます。
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