第1回予告  「白い人・黄色い人」遠藤周作(昭和30年上期・第33回)

平成26年4月20日(日曜日)午後3時 予定

「白い人・黄色い人」遠藤周作(新潮文庫)




僕自身が「白い人」との交流を本格的に持ったのは中学1年からだった。

母の教育方針で中学高校一貫の学校に入学した僕は、
いろいろな新しいことにおののきながら新生活をスタートさせた。期待よりも不安の方が格段に大きかった。

妙な形の制服、定期券、やけに大人びた(ように見えた)上級生たち、…
そんな中でもひときわ僕が恐れていたのは、学年担当のK先生だった。

K先生は、ドイツ出身の神父さんで山のように大柄な体をゆすぶりながら、来日して10年以上経つというのに、
「何が言ってるなの!」などと怪しげな日本語で、私たち生徒の落ち着きない振る舞いを注意していた。
彼の担当の教科は英語であった。「ドイツ人が日本人に英語を教えるって…」と内心ツッコミを入れたものだった。

K先生は、英語の授業以外にももうひとつ生徒たちと接点があった。
「黄色い人」の作中にも出てくる公教要理である。

僕はキリスト教系の学校を受験したにもかかわらず、キリスト教への関心はほとんどなかったので
(学校の神父さんや職員さんたちには申し訳なかったです)、
入学のときに説明されるまで、公教要理がようするにお説教によるキリスト教の布教活動であることを知らなかった
(ついでに、これはほぼ強制参加だったが、僕はほとんど出たことがなかった。返す返す申し訳ない)。


学期の始まりと終わりにはミサが行われ、入学のお祝いにヨハネパウロ2世の生写真が贈られたり、
なにかとキリスト教が近くにある生活であったが、クラスメイトの多くの者は
「キリスト教なんて、めんどくさい」という風潮が蔓延していた。私もそちらにくみしていた。

しかし、今振り返って考えてみると、何も神様というものを頭から否定していたわけではない気がする。
ちょうど多感な反抗期だったので、先生が権威をかさに勧めてきたものを反射的に拒否していただけのようにも思える。

むしろ人間は誰でもそうかもしれないが、自分の力の及ばないところには「運が良かった」「ついてなかった」などと、
不可知な力のせいにしてしまうところがあるから、ある意味で神の存在を肯定していたと言えるのかもしれない。


遠藤周作さんがテレビのインタビューだったか、本で書いていたのかは忘れたが、
生まれたばかりの自分の子供に洗礼を受けさせ、理解力もないのにキリスト教の信者にしてしまったことについて
「子供には何かをあらかじめ持たせてやりたかった。もしそれが自分にとって無駄なもの有害なものだったら、その時にそれを捨てればいいから。」
というようなことを言っていたのを思い出す。


いろいろと話し合えれば幸いです。

♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪


著者について


12歳で叔母の影響でカトリックの洗礼を受ける。
1950年、国費でフランス留学。
講談社文庫「ぐうたら交遊録」で、慌て者で普段からややハイテンションな著者の人となりが分かる。



昭和13年ころの事件
・ドイツのオーストリア併合
・日中戦争激化。軍国色が強まる。



昭和13年・神戸の洪水被害
(谷崎潤一郎「細雪」や手塚治虫「アドルフに告ぐ」でも描かれています。)
http://www.city.kobe.lg.jp/information/institution/institution/library/arc/sublists/071.html


トップページに戻る